「セキュリティをリードし続けた50年を祝って」
(本部ホームページからの翻訳記事)
The Gold Standard: ASIS Celebrates 50 years of Advancing Security
(http://www.asisonline.org/golden/article.htm)
■1955年から1959年にかけて -- セミナー、展示会そして出版
1955 to 1959 -- The Seminar and Exhibits and Publishing
■1960年から1969年にかけて -- 支部、地方本部、および委員会
1960 to 1969 -- Chapters, Regions, and Committees
◇1970 to 1979 -- The Industry, Finances, and Certification
◇1980 to 1989 -- Silver Anniversary, The ASIS Foundation, Inc.
◇1990 to 1999 -- The Economy and Education
◇2000 and Beyond -- Advocacy, Guidelines, Websites, and Strategic Priorities
◇Charter Exhibitors and Charter Advertisers
5人の創立者から始まったASISインターナショナルは、今や世界中の33,000人のメンバーで構成されるようになり、そのメンバーの献身的な協力によって50年の実績と歴史を築いてまいりました。
1950年代初頭、ロバート・アップルゲート(Robert Applegate)、エリック・バール(Eric Barr)、ラッセル・ホワイト(Russell White)、ユージン・ゴーゲン(Eugene Goedgen)そして、ポール・ハンセン(Paul Hansen)ら5人は、特別なセキュリティ・グループの会合を頻繁に行っていました。このグループは、彼等の新しいビジネスである産業秘密保持とそれに 関する政府の最新情報についての議論をしており、やがて彼等は、産業秘密保持部門(レイノルズ・メタルズ)の主任であるハンセン氏の働きかけによって、米 国国防総省と契約している会社の中から彼のようなセキュリティ管理者を集めて国立の組織を作ることを始めました。
こうして1955年までに、これらの創立者たちはASISの発足にむけてさらに254人の創立委員の補充を行い、ハンセン氏を初代代表として選出 しました。この時点での目標は大胆なもので、1957年までに、2,000人のメンバーの確保、年次会議の開催、組閣、倫理規定の設立、毎月の出版、資格 証書、研究、広報活動および公務を行い、地方における支部ならびに支部長、また機能的な委員会などの設立、ということを掲げていました。
■1955年から1959年にかけて -- セミナー、展示会そして出版
最初の重役会によって定められた規定に基づき、年次総会は毎年行われることになりました。1955年の晩夏に、ポール・ハンセン(Paul Hansen)は、報告委員会、翌年1956年の役員の選出、ワークショップなどを行えるような一日だけの年次総会を早急に計画する事が必要だということ に気付きました。ハンセン氏は大急ぎで同じく創設者のメンバーであるラッセル・ホワイト(Russell White)を呼び出し、10月27日の木曜日にシェラトン・カールトンホテルでの総会を計画するためにワシントンDCで会いました。
別の創設者であるロバート・アップルゲート(Robert Applegate)は、彼の政府機関とのコネクションをもとに、会議のリーダーや演説者のアレンジなどを行いました。しかしながら、著名な演説者を見つ ける事は少々困難でした。これは依頼や連絡を受けた誰もがASISの存在について知らなかったためで、後の出版物の中で彼は「新しくて良く分からないセ キュリティ関係の組織の前で演説をすることに皆慎重だったようだ」と語ってます。結局、U.S.空軍からセキュリティを率いる国防総省へ転勤中の元FBI 捜査官であるジョセフ・キャロル少将(Joseph Carroll)が話しをすることになり、こうして、第一回年次総会は52人のメンバーが参加しました。その際の参加費用は一人5ドルで、パーティ費用は 各6ドルでした。
1956年の第二回総会では11の出展があり、ラッセル・ホワイト(Russell White)がハンセン氏の後を継いで代表に選出されました。このときから20年以上もの間、総会の開催が継続されてきました。ハンセン氏は役員代表に就 任しました。翌年の1957年には総会の名称が年次セミナーに代わり、女性主体の活動も追加されました。3日間のプログラムとして同時セッションやパネル ディスカッション、昼食会、交流会なども行われるようになりました。展示会を見る時間についてもスケジュールに加味されるようになり、参加者は322人に 登って、ソサエティの資金となった募金は3,911ドルになりました。
テーマを“よい産業セキュリティはよいビジネスになる(Good IndustrialSecurity is Good Business)” として、5回目の年次総会は西海岸のロサンゼルスにて行われました。このときの主賓講演者は航空会社のダグラス社社長、ドナルド・W・ダグラス (Donald W.Douglas)が努め、彼は会社におけるセキュリティのあり方について説明し、政府が彼の会社から製品を購入するにあたってダグラス社のセキュリ ティを高く評価しているように、セキュリティへの規定そのものが製品の製造自体と同様に重要視されるべきである、ということを強調しました。また、このと きのパーティでの演説者は俳優のロナルド・レーガン(Ronal Reagan)でした。
ASISの情報発信について、ASISの最初の出版物は、ポール・ハンセンが中心になって作成した会の目的と利点について書かれたパンフレットで した。その冊子には、後にセキュリティ専門誌として認められる月刊誌、会員名簿、特報、パンフレットなどが必要に応じて配布される事が記載されていまし た。それを実現するために、出版委員会が設立されました。1957年初めには、国防長官であり出版委員会の委員長であるシドニー・ラベンスティン大佐 (COL Sidney Rubenstein)が、同年7月に創刊された「インダストリアル・セキュリティ(Industrial Security)」誌の編集長に任命されました。創刊号はジョージ・ワシントンが表紙を飾り、以降の号には政府や産業界の著名人が続きました。創刊号に は6社の広告が集まりました。
インダストリアル・セキュリティ誌は1959年に初利益をあげました。この年、ASISの取締役は、支部が広告料から20パーセントの利益を上げる事を承認しました。
■1960年から1969年にかけて -- 支部、地方本部、および委員会
支部の開催
ASISの発足後すぐに、アメリカの地域ごとに支部が形成され、1962年の末には参加者は58名となりました。一番最初に設立された支部は、 1964年に開設されたロサンゼルス郊外も含む「ロサンゼルス支部」であり、最も大きい支部であります。その年に、一日だけのカンファレンスを開いたとこ ろ、420名が出席しました。ロサンゼルス商工会議所と協力して開催されたこの大会では、その時の特筆すべき点の一つとしては、万引きや横領、損失などに 関した内容もあったことが挙げられます。また1968年の報告では、新しいコンセプト もありました。例えば、ニューヨーク西部は地方の保安オフィスと協力する警戒 トレーニング・プログラムを開発したり、シカゴでは、産業秘密保持問題についての警察 のためのトレーニング・プログラムを行ない、シカゴとクリーヴランドでは2日間のセミナーを 導入しました。 国際的な展開:1959年に、ASISの最初の国際的な支部(ヨーロッパ)として、各雇用者の ヨーロッパに割り当てられたアメリカ人が運営しました。その後1961年には、ASIS役員会が新 しい組織を作り主席と補佐を置き、主席にはジェームズ・リンチ(セキュリティ・オフィ サー、NATOホーク管理(パリ))が指名されました。アーニーFelago氏は、彼の海外出張先でASIS 代表という立場で活躍し、1967年にはASIS会長ジョージ・トムソンから彼の外交アシスタントに 任命されました。 1956年に5つの地域のASIS副代表 (地方本部の代表)達は、それぞれの地域の支部の重要な コミュニケーション役を続けました。更に1968年には10の地域に拡大されました。時期会長の アルバート・デイビス(Albert Davis), Howard MaiやWayne Hallらが地方本部の代表 として活躍しました。 様々な委員会の進出:ASIS委員会の活動を見る事によってセキュリティの成長を見る事 ができるかもしれません。ASIS設立時に2タイプの委員会が組織され、施行委員として緊急立案、 政府連絡、防火および物理的な防犯を取扱い、そして組織管理委員として、任命権、会員、 専門の基準および研究を取り扱っていましたが、1960年には新しい委員会(産業部門)を含 め、22の委員会にまで拡張し、それぞれの委員会長が約10年間に渡り会員招集を行いまし た。1964年には新たに小売り業、ホテル業、銀行業の委員会が追加されましたが、1967年 にはそれぞれ独立した委員会になりました。これらの3つは、教育、病院、保険、交通と合わせ7 つの産業委員会として運営されて行きました。 熱心な委員会の働き:プロフェッショナル基準委員会とセキュリティ教育委員会は、 セキュリティが学位となり得るような基本カリキュラムをカレッジや大学とともに作成 していきました。1960年代、研究委員会は研究プロジェクトを財団もしくは関連機関を通じて 賦与できるかどうかレビューしましたが、ASISの基準は満たせませんでした。1966年にASIS 財団が設立されましたが、その際に免税ステータスと先述の研究の為の資金誘発 をすることはやや困難であるということが明らかになりました。